ハーム・リダクションについての初期の議論〜1972年から82年のアムステルダムで
- 徐淑子
- 2016年6月2日
- 読了時間: 4分
Blok, Gemma(2008).
Pampering "needle freaks" or caring for chronic addicts? Early debates on harm reduction in Amsterdam, 1972-82. The Social History of Alcohol and Drugs (Spring 2008) :243-61.
*著者についてはこちら
(要約) 1970年代、オランダは突如としてヘロインの大流行という問題に向き合うこととなった。 この論文は、この流行病epidemicにたいする、アムステルダム市の初期の対応を分析する。 まずはじめに、このケーススタディによって、現在「ハーム・リダクション」と呼ばれる多くの実践が、1970年代にはもう実施されていたことを分析する。 この、新たに出現した依存症治療における新パラダイムは、既存の「禁止主義」との衝突を生み出した。 メタドンの適切な使用や、ヘロインユーザーへの治療全体についての激しい議論が、1970年代の依存症治療を席巻した。 その当時、ハード・ドラッグユーザーにたいするオランダのアプローチは、アンビヴァレントなものであった。 依存症者は患者であり、犯罪者ではないという考えが、国および地方自治体レベルの薬物政策の基礎となった。 しかし、依存症者がじっさいに受けた治療内容を詳細にみてみると、多くの「患者」がケアを受けずに置かれていたし、薬物使用に対するあからさまな道徳的アプローチは、いまだ、強固であったのである。 1980年頃より、流れは、ハームリダクションの実践と原則を支持する方向に向かっていった。 しかし、この現代的パラダイムの「勝利」は、依存症者に社会秩序問題を結びつけることによりもたらされたものであった。
(本文メモ)
p.243
・1972年以降、オランダでヘロイン流行が増大 ・禁止主義からの転換
p.244
・ハーム・リダクションの始まりは1980年代と思われているが、オランダではそれ以前に、注射針交換、ドラッグ使用ルーム、メタドン維持療法が存在していた。
・さらに、より重要なことであるが、1980年代以前にも、治療者やソーシャル・ワーカー(relief worker)は、「慢性的なヘロイン中毒者は、悪習を手放さなくとも・手放すことができなくとも、適切な援助・支援を受けるに値する」という考えを公にしていたのである。
・セラピストのなかには、「第三次予防」ということばを使う人もいた。
・「オルタナティブ・アディクション・トリートメント」という表現も使われた。
・"治療treatment" 対 "relief" という議論に発展 (1970年代)
The "Magical Centre of the World": Rise and Fall, 1955-80
・1970年代のオランダ=自由主義と反権威主義の時代。この社会的ムードの中、突如として出現したヘロイン問題に、きびしく対処するという考えは、反発を呼んだ。
・ヘロイン時代直前のオランダ=ヒッピーカルチャー全盛。世界中から観光客が流入し、公然と薬物を使っていた。
p.245
・しかし、それ以前のオランダでは薬物使用はまれなことであったのである。
・1945=アメリカ軍人とスリナム移民がジャズ、マリファナ、娼婦
・1950=薬物の娯楽使用は、まだ、外部からの流入人口(中国系=あへん使用、娼婦、ピンプ、船員)などにとどまっていた。
・1955=戦後の閉塞感から逃げるため、オランダ各地からアムステルダムに人が移動ー>変化 ・終戦直後、オランダ社会は伝統的なキリスト教的価値に先祖帰り。勤勉実直が称揚され、アルコール使用も少なかった。
・1950年代の若者は「スクエア」に反発して、サルトルとケルアックを読み、マリファナとアンフェタミン(スピード)を使った。
・1960年代に、LSDとあへん。
・非公式な法により、未成年および白人がいなければ、中国系は阿片窟であへんを使えたー>オランダ人にも売るようになる。配達もするようになった。
・1960年代後半には、ふたつのドラッグ・シーン:①”サイケデリック”(カナビス、LSD、アンフェタミン注射、あへん、そのミックス) ②低所得・低学歴を背景にもつ常習者(アンフェタミンとオピウム)。このグループで1969年に250の常習者。
・1960年以前=厳罰主義的な社会ムード
・1960年以降=犯罪学者、精神科医、社会学者、政治家がドラッグを使う「不適応」若年者の擁護に。
p.246
・Jellinekの精神科医Mulder:薬物使用は青少年の自我同一性の危機であり、自己実現プロセスの一部。
・エリート層にこういった考えが受け入れられる
・1971年=Hulsman委員会。すべての薬物使用を非犯罪化するよう勧告するレポート。「犯罪化ー>スティグマ化ー>周縁化」
・Baan委員会=カナビスの非犯罪化ー>ソフトドラッグ・ハードドラッグの区別へ。
p247
・この背景には、当時、薬物問題が個人のライフスタイルや価値にかんする問題だとみなされていたことが影響している。アッパーミドルクラスなどが使用者の中心で、社会秩序への脅威とはみなされていなかった。
p249
・19c-20c:節制運動協会の時代=アルコール依存症の治療は、医療的観点というより、節制の問題としてみなされていた。
・Amsterdam Health Center for Alcoholism
・禁酒をすすめるが、達成者は少なかった
・家族対応家族への生活支援(ハーム・リダクションの初期のかたち)を行うが、公に有効とされたのは禁止主義だけ。



コメント